(1931〜 )昭和・平成時代の政治家,第76・77代内閣総理大臣。愛知県生まれ。中央大学卒業後,政治家へのコースといわれる早大雄弁会に入るために早稲田大学に編入。早稲田大学大学院卒業後,代議士秘書となり,1960(昭和35)年に自由民主党から立候補して衆議院議員に初当選。一貫して三木派・河本派に属し,福田赳夫内閣,第2次中曽根康弘内閣で文部大臣をつとめる。1989(平成1)年,宇野宗佑退陣をうけて竹下登の支持によって総理大臣に就任。清潔・清新なイメージで国民からの支持率は高かったが,政権運営は思うにまかせなかった。在任中の91年に湾岸戦争が勃発,自衛隊派遣をめぐって世論が二分されるなか,経済援助だけを行ったため国際世論から非難をあびた。2年余にわたって政権を維持したが実績を上げられないまま党内の反発により91年11月退陣。94年,自社さ連立政権成立をめぐって自民党を離党,新進党の初代党首をつとめ,自由党,保守党に属したのち,自民党に復党。2009(平成21)年,政界引退。