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カチンのもりじけん【カチンの森事件】

(だい次世界大戦(じせかいたいせん(ちゅうの1940(ねん,ソ(れんのグニェズドヴォ近郊(きんこう(もりでポーランド軍将校(ぐんしょうこうをはじめとする4400(にん捕虜(ほりょがソ(れん機関(きかんによって虐殺(ぎゃくさつされ,うめられた事件(じけん現場近郊(げんばきんこう(むら名前(なまえをとって「カチンの森事件(もりじけん」といわれる。1939(ねん9(がつ,ポーランドはナチス=ドイツとソ(れん侵攻(しんこうによって敗北(はいぼく,ソ連軍(れんぐん捕虜(ほりょになった二十数万人(にじゅうすうまんにんのポーランド(じんのうち,40年春(ねんはる収容所(しゅうようじょから移送(いそうされた2万数千人(まんすうせんにん消息不明(しょうそくふめいになっており,そのうちの4400(にんであるといわれる。43(ねんにドイツ(ぐんによって事件(じけんはあばかれ,国際機関(こくさいきかんによる調査(ちょうさ(おこなわれたがソ(れん一貫(いっかんして事件(じけんへの関与(かんよ否定(ひてい,ようやく虐殺(ぎゃくさつ(みとめたのは1990(ねんになってからである。

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