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かとうともさぶろう【加藤友三郎】

(1861〜1923)明治(めいじ・大正時代の軍人(ぐんじん政治家(せいじか。第21代内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん安芸浅野藩(あきあさのはん広島(ひろしま県)の武士(ぶしの子に生まれる。海軍(かいぐん大学校卒業(そつぎょう。1904(明治(めいじ37)年,東郷平八郎(とうごうへいはちろう参謀(さんぼう長として日露戦争(にちろせんそうの日本海海戦(かいせん勝利(しょうり(みちびいたことで知られる。その後,海軍次官(かいぐんじかん呉鎮守府司令長官(くれちんじゅふしれいちょうかん(て,1914(大正3)年,第2次大隈重信(おおくましげのぶ内閣(ないかく海軍大臣(かいぐんだいじん就任(しゅうにん寺内正毅(てらうちまさたけ原敬(はらたかし高橋是清(たかはしこれきよ各内閣(かくないかくでも海相を歴任(れきにん。1921(大正10)年,ワシントン会議(かいぎに日本全権(ぜんけんとして出席(しゅっせき(よく22年,松方正義(まつかたまさよし推薦(すいせんを受けて総理大臣(そうりだいじん就任(しゅうにん官僚(かんりょう貴族院議員(きぞくいんぎいんを中心に組閣(そかくを行った。ワシントン海軍軍縮条約(かいぐんぐんしゅくじょうやくにもとづいて海軍(かいぐん艦隊縮小(かんたいしゅくしょう,シベリア撤兵(てっぺいを着実に実行したが,23年,在職(ざいしょくのまま病没(びょうぼつ生涯軍服(しょうがいぐんぷく(がず,無口(むくちの実行家であった。

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