かわひがしへきごとう【河東碧梧桐】 (1873〜1937)明治(めいじ)・大正・昭和時代の俳人(はいじん)。本名秉五郎(へいごろう)。愛媛(えひめ)県松山(まつやま)市に生まれた。正岡子規(まさおかしき)に師事(しじ)し,子規(しき)の俳句(はいく)の革新(かくしん)運動を助けた。子規(しき)の没後(ぼつご),作風をめぐって高浜虚子(たかはまきょし)と対立し,実感や写生を重んじながら,季題(きだい)・定型(ていけい)にこだわることなく,自由に生活感情(かんじょう)をうたう新しい傾向(けいこう)の俳句(はいく)をめざして活動した。◇「赤い椿(つばき)白い椿(つばき)と落ちにけり」「相撲(すもう)乗せし便船(びんせん)のなど時化(しけ)となり」