老中松平定信が,1787〜1793(天明7〜寛政5)年に行った江戸幕府の政治改革。封建制がゆるんできた18世紀末,老中になった松平定信は,享保の改革を手本として幕府政治をたてなおそうとした。倹約や武芸・学問を奨励し,ききん用の米の貯蔵,江戸の町費の節約を行わせ,農民の離村を制限して農村の復興をはかった。また,力の強くなった商人をおさえ,借金に苦しむ旗本・御家人をすくうため,棄捐令をだして借金を棒引きにさせたり,異学の禁を行って学問を統制し,出版や風俗の統制も行った。しかし,ときの流れにそわない面もあり,改革事業は7年で終わった。
コーチ
享保の
改革・
天保の
改革とともに
江戸の3大
改革と
称される。
年代暗記
寛政の改革の開始…人もなわな(1787)う寛政の改革
史料
寛政の改革の内容
1787…松平定信が老中となり,改革を開始。倹約令を出す。
1789…旗本・御家人救済のため棄捐令を出す。諸大名に囲い米を命じる。
1790…人足寄場を設置して浮浪人を収容。ききんにそなえ,諸国に社倉・義倉をもうける。物価引き上げ令・帰農令を出す。寛政異学の禁。
1791…洒落本作者の山東京伝を処罰する。
1792…『海国兵談』の著者林子平を処罰。海防の強化をはかる。
1793…沿海諸国を巡視。定信が失脚する。