きねやろくさぶろう【杵屋六三郎】 (1779〜1855)江戸(えど)時代の長唄三味線(ながうたしゃみせん)の家元。母親の影響(えいきょう)で幼(おさな)いときから三味線に親しみ,初世杵屋正次郎(しょせいきねやせいじろう)に弟子(でし)入りし,1808年に4世を襲名(しゅうめい)。演奏(えんそう)だけでなく,作曲にも活躍(やく)した。歌舞伎(かぶき)役者の7世市川団十郎(いちかわだんじゅうろう)に才能(さいのう)を評価(ひょうか)され,『勧進帳(かんじんちょう)』などを作曲した。演奏(えんそう)会用の長唄(ながうた)には『老松(おいまつ)』『吾妻八景(あづまはっけい)』などがある。