岐阜県岐阜市内の金華山にある城。岐阜城はかつて稲葉山城とよばれていた。金華山上に最初城をきずいたのは,鎌倉幕府の政所執事二階堂山城守行政で,戦国時代には,斎藤道三の居城でもあった。岐阜城の名を天下に示したのは,1567(永禄10)年(一説に永禄7年),織田信長がこの城を攻略し,この地方一帯を平定するとともに,井の口を岐阜と改めてからである。しかし,1600(慶長5)年9月関ヶ原の戦いに際して,信長の孫秀信は西軍に味方し,激戦の末に岐阜城は落城した。現在の城は1956(昭和31)年7月に復興されたもので,鉄筋コンクリート造り,3重4層延べ461.77m2,棟高17.7mの規模をもち,城内は郷土博物館,楼上は展望台として観光客に親しまれている。かつて松尾芭蕉がここをおとずれ「城跡や古井の清水まづとはむ」と詠んだのも有名である。