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*けんむのしんせい【建武の新政 】

後醍醐天皇(ごだいごてんのう鎌倉幕府(かまくらばくふをたおし,天皇(てんのう中心に行った政治(せいじ建武(けんむ中興(ちゅうこうともいう。後醍醐天皇(ごだいごてんのうは,政権回復(せいけんかいふくをめざして鎌倉幕府打倒(かまくらばくふだとうを計画するが,2度失敗(しっぱい天皇(てんのう隠岐(おき島根(しまね県)に流されたが脱出(だっしゅつし,幕府(ばくふ不満(ふまん武士(ぶしたちの助けで,1333年,幕府(ばくふをたおした。翌年(よくねん,年号を建武(けんむとあらためて建武(けんむ新政(しんせいを開始した。新政(しんせいは,公家(くげ武家(ぶけ統一(とういつの上に立つ天皇親政(てんのうしんせいを理想としたが,実際(じっさいには公家を重く用い,恩賞(おんしょうも公家のほうが多いなど,新政府(せいふ方針(ほうしんは公家中心になりがちで,武士(ぶし要求(ようきゅう(たすことができなかった。

コーチ

足利尊氏(あしかがたかうじ新政(しんせい失望(しつぼうした武士(ぶしたちに,武家政治(ぶけせいじ再興(さいこうをよびかけて(へいをあげ,建武(けんむ新政(しんせいはわずか2年あまりで失敗(しっぱいに終わった。

年代暗記

建武(けんむ新政(しんせいが始まる…1人さみし(1334)い建武(けんむ新政(しんせい

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