*こうあんのえき【弘安の役】 鎌倉(かまくら)時代の1281(弘安(こうあん)4)年,元軍(げんぐん)が2度めに日本をおそった事件(じけん)。文永(ぶんえい)の役(えき)(1274年)のあと,元(げん)は14万の大軍(たいぐん)を二手に分けて対馬(つしま)・壱岐(いき)・博多湾(はかたわん)に攻(せ)めよせた。しかし,日本軍(ぐん)が石塁(せきるい)をきずいて防戦(ぼうせん)したため上陸(じょうりく)できないでいるうちに,暴風(ぼうふう)がふきあれ,元軍(げんぐん)は軍船(ぐんせん)の大部分をうしなって敗退(はいたい)した。コーチ 文永(ぶんえい)の役(えき)とあわせて「元寇(げんこう)」という。 年代暗記 弘安(こうあん)の役(えき)…元(げん)との戦(たたか)い不敗(ふはい)(1281)の日本 ⇒元寇(げんこう)