*こうふくじ【興福寺】 奈良(なら)市登大路(のぼりおおじ)町にある法相宗(ほっそうしゅう)の大本山。669年に中臣(なかとみの)(藤原(ふじわらの))鎌足(かまたり)の夫人が京都(きょうと)に山階寺(やましなでら)をたてたのに始まり,その子の藤原不比等(ふじわらのふひと)が現在(げんざい)地にうつし興福寺(こうふくじ)と改名(かいめい),以後(いご),藤原氏(ふじわらし)の氏寺(うじでら)としてさかえた。再三(さいさん)の火災(かさい)にあい,現在(げんざい)では北円堂(ほくえんどう)と三重塔(さんじゅうのとう)が鎌倉(かまくら)時代,東金堂(とうこんどう)と五重塔(ごじゅうのとう)が室町(むろまち)時代,南円堂(なんえんどう)・中金堂(ちゅうこんどう)などは江戸時代の再建(さいけん)である。◇阿修羅像(あしゅらぞう)をはじめ多くの文化財(ぶんかざい)を有する。 交通 近鉄奈良(きんてつなら)駅から徒歩(とほ)15分。