メニュー閉じる

こくせんやかっせん【国性爺合戦】

近松門左衛門(ちかまつもんざえもん作の浄瑠璃(じょうるり義太夫節(ぎだゆうぶし脚本(きゃくほん,またこれにもとづいた歌舞伎(かぶき脚本(きゃくほん。1715年に大阪(おおさか竹本座(たけもとざ初演(しょえん翌々年(よくよくねんまで17か月の長期公演(こうえん記録(きろくした。◇(みん(中国)の遺臣鄭成功(いしんていせいこうが日本に援軍(えんぐんをもとめて(みん国の勢力回復(せいりょくかいふくにつとめた史実(しじつをもとに脚色(きゃくしょくしたもの。「国姓爺合戦」とも書く。日本人を母にもつ和藤内(わとうない(のち国姓爺(こくせんや)の活躍をえがく。

コーチ

鄭成功(ていせいこう(みん朝の皇室(こうしつ(せいである「(しゅ(せいをたまわったので,国姓爺(こくせんやとよばれた。

PAGETOP