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*このえふみまろ【近衛文麿 】

(1891〜1945)昭和時代の政治(せいじ家。公家(くげの古い家柄(いえがらの五摂家(せっけ筆頭近衛(ひっとうこのえ家の出で,東京(とうきょうの生まれ。貴族院(きぞくいん議長(ぎちょうをつとめたあと,1937(昭和12)年,近代的(きんだいてき人がらを期待されて第1次内閣(ないかく組織(そしき。日中戦争(せんそうがおこると「蔣介石(チャンチェシーを相手にせず」という声明をだして,自ら和平の道を(った。戦争(せんそうの長期化とともに内閣(ないかくを投げだしたが,1940年には第2次内閣(ないかく組織(そしきして新体制(たいせい運動をおこし大政翼賛(たいせいよくさん会を創立(そうりつ,ドイツ・イタリアと三国同盟(どうめいをむすんだ。1941年の第3次内閣(ないかくでは日米交渉(こうしょうをつづけたが,解決(かいけつの見通しをうしなって辞職(じしょく東条内閣(とうじょうないかくに代わった。敗戦(はいせん後,戦争犯罪(せんそうはんざい人の指名を受けて自殺(じさつした。

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