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*こばやしいっさ【小林一茶】

(1763〜1827)江戸(えど時代後期の俳人(はいじん通称弥太郎(つうしょうやたろう信濃(しなの国(長野(ながの県)柏原(かしわばらの農家に生まれる。継母(けいぼ冷遇(れいぐうされ,江戸(えどにでて奉公(ほうこう生活を送りながら俳句(はいくを学んだ。以後(いご江戸(えど漂泊(ひょうはく生活をするかたわら句作(くさくにはげみ,一方10年間にわたって異母弟(いぼていと父の遺産争(いさんあらそいをし,50(さいをすぎてから故郷(こきょうにおちついた。そのときの(が「これがまあ(つい(すみかか雪五(しゃく」である。それ以降(いこう妻子(さいしに先立たれるなど,不遇(ふぐう生涯(しょうがいであったが,童心と弱者への同情(どうじょう心を終生うしなわず,生活(俳人(はいじんとして異彩(いさいを放った。代表作に句文集(くぶんしゅう『おらが春』や『七番日記』(9年間の一茶の日記)などがある。◇「めでたさも中くらいなりおらが春」「涼風(すずかぜの曲りくねって(きたりけり」

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