さいおんじきんもち【西園寺公望】 (1849〜1940)明治(めいじ)〜昭和時代前期の政治(せいじ)家。公卿(くぎょう)の出で,京都(きょうと)生まれ。フランスに留学(りゅうがく)後,中江兆民(なかえちょうみん)らと『東洋自由新聞』を発刊(はっかん)して社長兼(けん)主筆となったが,明治天皇(めいじてんのう)の勅命(ちょくめい)により廃刊(はいかん)した。以後(いご),各国(かっこく)公使,第2次・第3次伊藤博文(いとうひろぶみ)内閣(ないかく)の文部大臣(だいじん)などをへて政友(せいゆう)会総裁(そうさい)となり,1906(明治(めいじ)39)年と1911年の2度内閣(ないかく)を組織(そしき)。パリ講和会議(こうわかいぎ)(1919年)では首席全権(しゅせきぜんけん)をつとめた。◇その後,元老(げんろう)として重きをなし,14代にわたる首相をきめたといわれる。