さいとうたかお【斎藤隆夫】 (1870〜1949)大正・昭和時代の政治(せいじ)家。兵庫(ひょうご)県生まれ。東京専門(とうきょうせんもん)学校(いまの早稲田(わせだ)大学)卒業(そつぎょう)後,弁護士(べんごし)となる。アメリカ合衆国(がっしゅうこく)に留学(りゅうがく),エール大学で学ぶ。帰国後,衆議院議員(しゅうぎいんぎいん)に当選(とうせん)(当選(とうせん)13回)。1936(昭和11)年,二(に)・二六事件(にろくじけん)後の国会で軍部(ぐんぶ)を批判(ひはん)する演説(えんぜつ)を行う。1940(昭和15)年には,日中戦争(せんそう)*に関(かん)して反軍演説(はんぐんえんぜつ)を行い,議会(ぎかい)を除名(じょめい)される。第二次世界大戦(せかいたいせん)後(ご),進歩党(とう)の結成(けっせい)に参加(さんか),国務大臣(こくむだいじん),民主(みんしゅ)自由党(とう)の顧問(こもん)をつとめた。