さいとうどうさん【斎藤道三】 (?〜1556)美濃(みの)国(岐阜(ぎふ)県)の戦国(せんごく)大名。京都(きょうと)の妙覚寺(みょうかくじ)に入ったあと俗人(ぞくじん)にもどり,松波庄九郎(まつなみしょうくろう)と称(しょう)して油売りとなった。京都(きょうと)と美濃(みの)の間を行き来するうちに,守護(しゅご)土岐氏(ときし)の家臣長井弥三郎(かしんながいやさぶろう)に気に入られ,その家老(かろう)西村(にしむら)家のあとをついで西村勘九郎(にしむらかんくろう)と改名(かいめい)。長井氏(ながいし)をたおしたあと,さらに守護代斎藤氏(しゅごだいさいとうし)をつぎ斎藤利政(さいとうとしまさ)と名のった。やがて出家して道三(どうさん)と号し,1542年に守護土岐頼芸(しゅごときよりなり)を追放,美濃(みの)一国を支配(しはい)した。晩年(ばんねん)には子義龍(よしたつ)と不和(ふわ)になり,長良(ながら)川河畔(かはん)でたたかって敗死(はいし)した。