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**さこく【鎖国】

外国との貿易(ぼうえきや交通をやめ,国をとざすこと。日本では江戸(えど時代にこの方針(ほうしんがとられ,幕末(ばくまつまでつづいた。

鎖国(さこくへのあゆみ〕



(1)鎖国(さこく目的(もくてき幕府(ばくふは,封建支配(ほうけんしはいのさまたげになると考えられたキリスト教の禁止(きんし徹底(てっていさせ,また,西日本の大名が貿易(ぼうえきによって勢力(せいりょくを強めることをふせいで,幕府(ばくふ貿易(ぼうえき利益(りえき独占(どくせんしようとした。

(2)鎖国(さこく形成(けいせい貿易(ぼうえき利益(りえきのため,はじめはキリスト教を黙認(もくにんしたが,1613年に全国的(ぜんこくてきにキリスト教の禁止(きんしを命じた。1616年にはヨーロッパ船の来航(らいこう平戸(ひらど長崎(ながさき限定(げんていし,1624年にはスペイン船の来航(らいこう(きんじた。1633年には奉書(ほうしょ船(朱印状(しゅいんじょうのほかに老中(ろうじゅう奉書(ほうしょという許可証(きょかしょうをもった船)以外(いがいの海外渡航(とこう禁止(きんしし,1635年には日本人の海外渡航(とこうと帰国を禁止(きんしした。1637〜38年の島原(しまばら天草一揆(あまくさいっきの後,1639年に第3代将軍(しょうぐん徳川家光(とくがわいえみつはポルトガル船の来航(らいこう禁止(きんしして鎖国(さこく完成(かんせいさせ,1641年には平戸(ひらどのオランダ商館を長崎(ながさき出島(でじまにうつした。こうして鎖国(さこく下の貿易(ぼうえき港は長崎(ながさきだけとし,オランダと中国((しん)の船だけの来航(らいこうをゆるした。

コーチ

 鎖国(さこく下の長崎貿易(ながさきぼうえきでは,オランダと中国の商船から,中国(さん生糸(きいと綿織物(めんおりもの絹織物(きぬおりものなどを輸入(ゆにゅうし,日本からは銀・陶磁器(とうじき海産(かいさん物を輸出(ゆしゅつした。

鎖国(さこく影響(えいきょう



(1)鎖国(さこくによって,キリスト教の禁教(きんきょうや大名統制(とうせいが強化され,幕府(ばくふ貿易(ぼうえき利益(りえき独占(どくせんし,幕藩体制(ばくはんたいせい確立(かくりつして,封建支配(ほうけんしはいが長くつづいた。

(2)海外の進んだ文化や技術(ぎじゅつなどが入らなくなり,世界の進歩からとりのこされた。

(3)日本独自(どくじの文化や産業(さんぎょう発達(はったつするようになった。

年代暗記

 鎖国(さこく完成(かんせいする…鎖国(さこくの色さく(1639)長崎(ながさき

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