しではらきじゅうろう【幣原喜重郎】 (1872〜1951)大正・昭和時代の外交官(がいこうかん)・政治(せいじ)家。大阪府(おおさかふ)の生まれ。駐米(ちゅうべい)大使・ワシントン会議全権(かいぎぜんけん)委員のあと,1924(大正13)年以降(いこう),歴代内閣(れきだいないかく)の外務大臣(がいむだいじん)を通算5年3か月あまりつとめ,国際協調主義(こくさいきょうちょうしゅぎ)を特色(とくしょく)とする,いわゆる「幣原(しではら)外交」をおしすすめた。敗戦(はいせん)後の1945(昭和20)年10月に首相に就任(しゅうにん),占領政策(せんりょうせいさく)にそって憲法改正(けんぽうかいせい)に着手した。総辞職(そうじしょく)後は第1次吉田内閣(よしだないかく)の国務大臣(こくむだいじん),進歩党総裁(とうそうさい),衆議院議長(しゅうぎいんぎちょう)などをつとめた。