(1796〜1866)ドイツの医師・博物学者。日本研究をめざし,1823年に長崎出島のオランダ商館つき医師として来日。長崎郊外に鳴滝塾を開き,病人の治療とともに,門人に西洋医学や自然科学を教えた。門下から高野長英など,学者が多く出た。また,日本に関する資料を多く集め,帰国後『Nippon』をあらわして,ヨーロッパに日本を紹介したが,帰国にさいしてシーボルト事件がおこされた。幕末の1859年に,再度来日した。
〔シーボルト事件〕
1828年,シーボルトが帰国のさい,国外持出し
禁止の日本地図をもっていたことから国外追放になり,地図をおくった
高橋景保はじめ,多数の門人が
処罰された。