しょうたい【尚泰】 (1843〜1901)琉球王国(りゅうきゅうおうこく)最後(さいご)の王(おう)。父尚育王(ちちしょういくおう)の跡(あと)を継(つ)ぎ,4歳(さい)で国王(こくおう)に就任(しゅうにん)する。1872(明治(めいじ)5)年の明治政府(めいじせいふ)による琉球藩(りゅうきゅうはん)の設置(せっち)にともない藩王(はんおう)となるが,1879(明治(めいじ)12)年,明治政府(めいじせいふ)によって首里城(しゅりじょう)の明(あ)け渡(わた)しを求(もと)められると,この要求(ようきゅう)に屈(くっ)して首里城(しゅりじょう)から追放(ついほう)された。沖縄県(おきなわけん)の設置(せっち)が宣言(せんげん)されて琉球王国(りゅうきゅうおうこく)は滅亡(めつぼう),日本に帰属(きぞく)した(琉球処分(りゅうきゅうしょぶん))。その後(ご),東京(とうきょう)へ移(うつ)り住(す)むように命(めい)じられ,侯爵(こうしゃく)(華族(かぞく))となり,その地(ち)で没(ぼっ)した。尚氏(しょうし)