しょうへいざかがくもんじょ【昌平坂学問所】 江戸幕府(えどばくふ)の学問所。昌平黌(しょうへいこう)ともいう。江戸(えど)時代,旗本(はたもと)・御家人(ごけにん)の子弟を教育した。5代将軍(しょうぐん)徳川綱吉(とくがわつなよし)が,上野忍岡(うえのしのぶがおか)の孔子(こうし)をまつった聖堂(せいどう)と林家(りんけ)の私塾(しじゅく)を神田湯島(かんだゆしま)にうつしたのが始まり。これを湯島(ゆしま)の聖堂(せいどう)といい,林鳳岡(はやしほうこう)を大学頭(だいがくのかみ)に任(にん)じて,幕臣(ばくしん)の教育にあたった。そののち松平定信(まつだいらさだのぶ)が寛政(かんせい)の改革(かいかく)で異学(いがく)の禁(きん)を命じ,朱子学(しゅしがく)以外(いがい)を聖堂(せいどう)で教えることを禁(きん)じ,昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)とあらためた。