そがのうまこ【蘇我馬子 】 (?〜626)飛鳥時代(あすかじだい)の豪族(ごうぞく)。稲目(いなめ)の子。父のあとをついで大臣(おおおみ)となり,仏教(ぶっきょう)を深く信仰(しんこう),排仏派(はいぶつは)の物部守屋(もののべのもりや)とはげしく対立し,587年に物部氏(もののべし)をほろぼした。以後(いご),崇峻天皇(すしゅんてんのう)を暗殺(あんさつ)して推古天皇(すいこてんのう)を皇位(こうい)につけるなど,横暴(おうぼう)にふるまった。聖徳太子(しょうとくたいし)が摂政(せっしょう)になると,その政治(せいじ)に協力(きょうりょく)したが,太子(たいし)の死後はふたたび政治(せいじ)をほしいままにした。コーチ 奈良(なら)県明日香(あすか)村にある石舞台古墳(いしぶたいこふん)は,蘇我馬子(そがのうまこ)の墓(はか)といわれている。