豊臣秀吉が行った全国的な検地。太閤とは「前関白」のことで,秀吉をさす。秀吉は1582年以後,征服した大名の領地で検地を行ったが,田畑の面積や収穫高を調査するにあたり,それまでまちまちだった検地の方法や計量の基準を全国的に一定にした。
つまり,(1)6尺3寸(約191cm)を1間,1間四方を1歩,30歩を1畝,10畝を1反,10反を1町とし,
(2)田畑は1つごとに上・中・下・下々と等級をつけ,
(3)京枡を用いて,それぞれの等級の反あたりの標準収穫高(石盛)を定めた。
そのうえで,1つの土地を耕作する百姓をきめ,検地帳に登録した。◇百姓は,耕作権を保証されるかわりに年貢負担を義務づけられ,土地をはなれられなくなった。
年代暗記
太閤検地の開始…
以後やに(1582)ふえる
検地帳