だいこくやこうだゆう【大黒屋光太夫】 (1751〜1828)江戸(えど)時代中期の伊勢(いせ)国(三重(みえ)県)の船頭(せんどう)。幸太夫とも書く。1782年,伊勢(いせ)より江戸(えど)へ航行(こうこう)中に台風にあい,8か月後アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着(ひょうちゃく)。やがてイルクーツクにうつり,ペテルブルク(現(げん)サンクトペテルブルク)でエカテリーナ2世に謁見(えっけん)し,東洋語学校では日本語を教えた。やがて帰国をゆるされ,1792年にラクスマンにともなわれ根室(ねむろ)に帰着,以後(いご),幕府(ばくふ)の監視(かんし)のもとにおかれながら,海外の知識(ちしき)を紹介(しょうかい)した。