(1118〜1181)平安時代末期,平氏の全盛期をきずいた武将。忠盛の長男。保元の乱・平治の乱で源氏をおさえて中央政界に進出し,1167年に太政大臣となり,むすめの徳子を高倉天皇の后とした。この間,一族を朝廷の高位高官につけ,西国に500あまりの荘園をもち,30余か国を知行国として全盛をほこった。のち,後白河上皇と対立すると院政をやめさせ,徳子のうんだ安徳天皇を即位させ,外祖父(母方の祖父)として独裁政治を行った。そのため,反感をいだくものがふえ,各地で源氏が挙兵するさなか,熱病で死んだ。◇清盛はまた,父の代から関係した日宋貿易に積極的にとりくみ,大輪田泊(神戸港)を修築し,瀬戸内海の水運をさかんにした。
コーチ
清盛は
武家の出身でありながら,
藤原氏にならって
貴族的な
政治を行った。