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たいらのまさかど【平将門】

(?〜940)平安時代の関東(かんとう豪族(ごうぞく武将(ぶしょう。生まれた年は,わかっていない。下総(しもうさ国(今の千葉(ちば県北部を中心とする地域(ちいき),常陸(ひたち国(今の茨城(いばらき県)に広がった平氏(へいし一族の(あらそいが関東諸国(かんとうしょこく((む大きな(あらそいへと進んでいく中で勢力(せいりょく(ばしていった。939年,常陸(ひたち茨城(いばらき県)・下野(しもつけ栃木(とちぎ県)・上野(こうずけ群馬(ぐんま県)の国府(こくふ(めおとしたことから,将門(まさかどの行動は朝廷(ちょうていへの反乱(はんらんとなり,将門(まさかどは自らを「新皇(しんのう」と(しょうして,岩井(いわい現在(げんざい茨城(いばらき坂東(ばんどう市)に政庁(せいちょう(いた。しかし,その(いきおいは長くは(つづかず,翌年(よくねん藤原秀郷(ふじわらのひでさと平貞盛(たいらのさだもりらにほろぼされた(平将門(たいらのまさかど(らん)。さまざまな伝説(でんせつ逸話(いつわとともに語り(がれてきた将門(まさかどは,しだいに朝廷(ちょうてい支配(しはいに立ち向かった英雄(えいゆうとして(あつかわれることも多くなり,1976年に将門(まさかどを主人公としたNHK大河(たいがドラマ『風と雲と(にじと』が放映(ほうえいされると,その人気はさらに高まった。

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