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*たいらのまさかどのらん【平将門の乱】

平安時代中期,東国で平将門(たいらのまさかど(?〜940)がおこした反乱(はんらん将門(まさかど桓武(かんむ平氏(へいしの一族で,下総(しもうさ豊田郡(とよたぐん茨城(いばらき結城郡(ゆうきぐん)に本拠(ほんきょをもつ豪族(ごうぞくだったが,935年,一族とうちわ(あらそいをおこし,おじの国香(くにか殺害(さつがい。939年には常陸(ひたち茨城(いばらき県)・下野(しもつけ栃木(とちぎ県)・上野(こうずけ群馬(ぐんま県)の国府(こくふ(めおとし,自ら新皇(しんのう(しょうした。一時は関東(かんとうをしたがえたが,翌年(よくねん藤原秀郷(ふじわらのひでさと平貞盛(たいらのさだもりら地方武士(ぶしにほろぼされた。 ◇平安時代中期の承平(じょうへい天慶(てんぎょう年間(931〜947)に東国の平将門(たいらのまさかど(らんと,西国の藤原純友(ふじわらのすみとも(らんがほとんど同時におこったので,この2つの乱を合わせ,承平(じょうへい天慶(てんぎょう(らんともいう。

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