(1938〜2000)物理学者,原子力資料情報室代表。群馬県生まれ。東京大学で核化学を研究し,卒業後,日本原子力事業研究員,東大原子核研究所員などを経て,東京都立大学教授。1973(昭和48)年に大学を退職したのちはシンクタンク・原子力資料情報室を設立,原子力業界から独立した専門家の立場から,原子力発電やプルトニウムの危険性の警告,脱原発の主張を発信しつづけた。95(平成7)年には福島第一原子力発電所の老朽化による耐震性の劣化,津波による電源喪失が起こった場合の冷却系の破壊とメルトダウンをいち早く指摘し,すみやかな廃炉を提言した。2011(平成23)年3月の東日本大震災による原発事故では彼の予言がすべて現実のものになった。