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たけしたのぼる【竹下登】

(1924〜2000)昭和・平成(へいせい時代の政治(せいじ家,第74代内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん島根(しまね県生まれ。早稲田(わせだ大学卒業(そつぎょう後,地元の中学校で教師(きょうしをつとめ,のちに県会議員(ぎいん。1958(昭和33)年,衆議院(しゅうぎいん議員(ぎいん初当選(はつとうせん自由民主党(じゆうみんしゅとう1期生として党内(とうないで地道に歩む。佐藤栄作(さとうえいさく田中角栄(たなかかくえい内閣(ないかく官房長官(かんぼうちょうかん,その後,各内閣(かくないかく建設大臣(けんせつだいじん大蔵大臣(おおくらだいじん党幹事長(とうかんじちょうなどを歴任(れきにん。「気くばり」の人といわれ,(てきをつくらず,長く田中派(たなかは重鎮(じゅうちんであったが,85年,田中派(たなかはの3分の1をまとめ「創政会(そうせいかい」を結成(けっせい田中(たなかが病に(たおれた結果(けっか,87年,田中派(たなかはをひきつぐ竹下派(たけしたは経世会(けいせいかい)を発足させ,同年11月,総理大臣(そうりだいじん就任(しゅうにん。88年,政府(せいふ念願(ねんがんであった消費税(しょうひぜい導入(どうにゅう(たしたほか,全国市町村に一(りつ1(おく円を交付(こうふする「ふるさと創世(そうせい事業」を行った。リクルート・コスモス社が政治(せいじ家・官僚(かんりょうに公開前株式(かぶしき譲渡(じょうとしたリクルート事件(じけん批判(ひはんが強まり,89(平成(へいせい1)年6月,退陣(たいじん

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