16世紀半ば,コペルニクスが『天球の回転について』の中で主張した,太陽が宇宙の中心にあり,惑星は現在知られている順にそのまわりを回っているという説。地動説と従来の天動説とは当時のヨーロッパの学者たちを2分させることになったが,天動説の信者であったチコ=ブラーエの精密で膨大な資料を整理した弟子のケプラーによって,有名な惑星の運動の3法則が発見され,地動説が確立した。しかし,地動説の観測的証明は1727年のブラッドリーによる光行差の発見,1838年のベッセル・ヘンダーソン・ストルーベらによる年周視差の発見まで待たなければならなかった。◇天動説が支配的だった古代ギリシャ時代にアリスタルコスは地球が動くことをとなえたが,当時はまったくみとめられなかった。