*ちょうしゅうはん【長州藩】 江戸(えど)時代,長門(ながと)国萩(はぎ)(山口(やまぐち)県萩(はぎ)市)を中心に,周防(すおう)・長門(ながと)2国を支配(しはい)した大藩(たいはん)(外様(とざま)大名)。藩主(はんしゅ)は毛利氏(もうりし)。16世紀(せいき)中ごろ元就(もとなり)は中国10か国を領(りょう)したが,孫(まご)の輝元(てるもと)のとき,関ヶ原(せきがはら)の戦(たたか)いで豊臣(とよとみ)方についたため,防長(ぼうちょう)2国36万石(ごく)に減封(げんぽう)された。◇幕末(ばくまつ)の1863年,藩庁(はんちょう)を周防(すおう)の山口(やまぐち)にうつし,山口藩(やまぐちはん)と改称(かいしょう)。コーチ 幕末(ばくまつ),軍制(ぐんせい)をととのえ,薩摩藩(さつまはん)とともに倒幕(とうばく)に大きな活動を行った。