ちょうそかべもとちか【長宗我部元親】 (1539〜1599)戦国(せんごく)時代末期(まっき)の土佐(とさ)国(高知(こうち)県)の武将(ぶしょう)。岡豊城(おこうじょう)(南国(なんごく)市)を本拠(ほんきょ)として,1575年に土佐(とさ)を,1585年には四国全土を平定したが,豊臣秀吉(とよとみひでよし)の四国征圧(せいあつ)のさいに降伏(こうふく),土佐(とさ)1国をあたえられた。のち,秀吉(ひでよし)の九州征討(きゅうしゅうせいとう)にしたがい,朝鮮侵略(ちょうせんしんりゃく)にも参加(さんか)。◇「長宗我部元親百箇条(ちょうそかべもとちかひゃっかじょう)」は分国法(ぶんこくほう)として完備(かんび)されたもので,喧嘩両成敗(けんかりょうせいばい)の原則(げんそく)がもりこまれている。