チョンポンジュン【全準】 (1854〜1895)朝鮮(ちょうせん),李(り)朝末期(まっき)の甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)の指導(しどう)者。全羅道(チョルラド)の人。東学党(とうがくとう)の幹部(かんぶ)だったが,1894年2月,郡(ぐん)の役人の無法(むほう)を怒(いか)って立ちあがり,農民軍(のうみんぐん)をひきいて方々で官軍(かんぐん)をやぶった。6月に政府(せいふ)と和解(わかい)し,地方政治(せいじ)を改善(かいぜん)させていたが,日本軍(ぐん)が出動したため戦闘(せんとう)を再開(さいかい)。敗北(はいぼく)しとらえられ,ソウルで処刑(しょけい)された。