とくがわいえなり【徳川家斉】 (1773〜1841)江戸幕府(えどばくふ)第11代将軍(しょうぐん)(在位(ざいい)1787〜1837)。一橋治済(ひとつばしはるさだ)の子として生まれ,10代将軍徳川家治(しょうぐんとくがわいえはる)の養子(ようし)となる。将軍(しょうぐん)として松平定信(まつだいらさだのぶ)を老中(ろうじゅう)首座(しゅざ)にし,寛政(かんせい)の改革(かいかく)にあたらせる。定信(さだのぶ)の引退(いんたい)後も,その他の老中(ろうじゅう)によって改革(かいかく)路線が引きつがれるが,1818(文政(ぶんせい)1)年,水野忠成(みずのただなり)の老中就任(ろうじゅうしゅうにん)後,ふたたび政治(せいじ)が乱(みだ)れた。家斉(いえなり)自身もぜいたくな生活にふけり,幕府財政(ばくふざいせい)は危機(きき)の度をくわえた。子家慶(いえよし)に位(くらい)をゆずった後も,実権(じっけん)を握(にぎ)りつづけたため,大御所(おおごしょ)時代とよばれた。