とくがわみつくに【徳川光圀】 (1628〜1700)江戸(えど)時代前期の水戸(みと)(茨城(いばらき)県)藩主(はんしゅ)。水戸黄門(みとこうもん)ともいう(黄門は中納言(ちゅうなごん)の漢名)。初代藩主頼房(しょだいはんしゅよりふさ)(家康(いえやす)の子)の3男。学問をこのみ,明(みん)(中国)の学者朱舜水(しゅしゅんすい)をまねいて学ぶ一方,1657年に学者を集めて『大日本史(だいにほんし)』の編(へん)さんに着手,水戸学(みとがく)の基礎(きそ)をつくった。◇民政(みんせい)にも力をつくし,名君ぶりは「水戸黄門漫遊記(みとこうもんまんゆうき)」として語りつたえられているが,諸国漫遊(しょこくまんゆう)は事実ではない。