県名の由来
この付近は,昔は沼地で,水鳥をとって朝廷に献上することを職業とする,鳥取部という人々が住んでいたことに由来するといわれている。
県庁所在地
県の面積
県の人口
県の代表的な伝統工芸品と祭り
〔伝統工芸品〕
○弓浜がすり ○因州和紙 ○出雲石灯ろう
〔祭り〕
○流しびな(鳥取市用瀬町,旧暦3月3日)
位置・地形・気候
鳥取県は,中国地方の北東部にあり,北は日本海に面し,東西に細長くのびている。県の東部は氷ノ山・扇ノ山が兵庫県との境をなし,南部は中国山地をへだてて岡山県と接し,西部は島根県と接している。
県の面積の約85%が山地で,中国山地には1000〜1300mの山々がつづいている。山地の西部にある標高1729mの大山は,中国地方で最も高い。
この山地から,千代川・天神川・日野川の3つの川が,日本海に向かって流れ出て,その下流に,それぞれ鳥取平野・倉吉平野・米子平野が開けているが,どの川も短く,平野も小さい。鳥取砂丘は,千代川によって海に運ばれた砂が,海流と北西の季節風によって海岸に積み上げられてできたものである。
気候は日本海側の気候で,冬,雪による降水量が多い。しかし,対馬海流の影響で,比較的あたたかく,しのぎやすい気候である。
歴史
昔は東部を因幡国,西部を伯耆国といった。奈良時代の国司には,因幡の大伴家持や伯耆の山上憶良らの名前もある。
室町時代には山名氏が支配,ついで尼子氏,毛利氏がこの地方の支配をめぐってあらそった。江戸時代には池田氏の鳥取藩となり,新田開発が進められ,産業も発達した。
明治の廃藩置県によって鳥取県となったが,のち島根県に編入され,1881(明治14)年にふたたび鳥取県となり,現在にいたっている。
産業
山地が多いため,耕地はあまり広くないが,よく知られる鳥取の二十世紀ナシ(ニホンナシ)の生産量は今も全国有数で,砂丘でのラッキョウ・スイカ・ナガイモ・メロンなどの生産も多い。中央部では,肉用牛の飼育や酪農・養鶏がさかんである。
また,日本海は,アジ・サバ・イワシ・スルメイカ・ベニズワイガニなどのよい漁場で,境港の水揚げ量は全国有数である。
工業は,鳥取市を中心にした電気・機械工業,境港市の水産加工業,米子市のパルプ,食料品工業などが見られる。このほか,各地に工業団地もつくられているが,生産額はあまり多くない。
鳥取砂丘や大山を中心とした観光業も,県の重要な産業となっている。
開発が進む鳥取砂丘
鳥取平野の海岸線をふちどる鳥取砂丘のすばらしい景観は,観光地として多くの人々をひきつけている。
しかし,この地の人々は,農業を行うために,昔から苦労して砂丘を開拓してきた。本格的な開発は第二次世界大戦後,鳥取大学を中心に始まり,やがて,砂丘の東部や西部では,砂防林や砂防垣,スプリンクラーによるかんがいなどによって,砂地に適したいろいろな作物がつくられるようになった。
今では,ラッキョウ・ナガイモ・球根用のチューリップ・ブドウ・メロンなどがさかんに栽培されている。砂地は地温が高いので,作物の実りが早く,果物は甘みが強くなる。
メロンなどをつくるハウス内では,点滴かんがいというかんがい方法も使われている。これは,穴のあいた管を地表にはわせ,水と養分を作物の根元に1滴ずつ送るというもので,水の使用量が少なくてすみ,ハウス内が高湿度になるのをふせぐという利点もある。
砂丘の開発は,観光資源としての砂丘の景観をそこなう。開発と保存のバランスをどのようにとるかが今後の課題である。