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**ナポレオンいっせい【ナポレオン1世】

(1769〜1821)フランスの軍人皇帝(ぐんじんこうてい在位(ざいい1804〜1814/15)。

フランス革命(かくめいの申し子

フランス(りょうコルシカ島の出身。砲兵士官(ほうへいしかんとなり,フランス革命(かくめいがおこると革命派(かくめいは将校(しょうこうとして活躍(かつやく王党派(おうとうは反乱(はんらんをおさえ,イタリア・エジプトに遠征(えんせいして功績(こうせきをあげた。1799年,ときの総裁政府(そうさいせいふをクーデターでたおし,統領政府(とうりょうせいふをつくって第一統領(とうりょうとなり,実権(じっけんをにぎった(1802年終身統領(とうりょう)。フランス革命(かくめいは,ここに終結(しゅうけつした。

皇帝(こうていから没落(ぼつらく

その後も対外戦争(せんそうをつづけて外国の干渉(かんしょう(ふうじこめ,国内産業(さんぎょう発展(はってんをめざし,革命(かくめい成果(せいかをナポレオン法典(ほうてん保証(ほしょうした。こうして国民(こくみん信望(しんぼうをになったナポレオンは,1804年,国民投票(こくみんとうひょうによって皇帝(こうてい即位(そくい。列国がこれに反発すると対外戦争(せんそう再開(さいかいし,ヨーロッパの大半を支配(しはいして,大陸封鎖令(たいりくふうされいでイギリス経済(けいざい打撃(だげきをあたえようとした。しかし,ロシア遠征(えんせい失敗(しっぱいし(1812年),さらにイギリス・プロイセン・オーストリア連合軍(れんごうぐんにやぶれて,1814年に退位(たいい。地中海のエルバ島へ流された。翌年(よくねん,島を脱出(だっしゅつしてパリにもどり,ふたたび皇帝(こうていとなったがワーテルローの(たたかいで連合軍(れんごうぐん敗北(はいぼく。大西洋上のセントヘレナ島に流され,以後(いごはイギリスのきびしい監視(かんしのなかで,回想録(かいそうろくなどを書いて日々を送った。

年代暗記

ナポレオン皇帝(こうていに…いばれよ(1804)ナポレオン

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