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**なら【奈良(県)】

県名の由来

古代の都,平城京(へいじょうきょうがおかれた地「なら」に由来する。「なら」は古くからの地名で,「乃楽」「平城」「寧楽」などと書かれたが,平安時代に「奈良(なら」となった。

県庁所在地

奈良(なら

県の面積

3691km2

県の人口

141万人

県の代表的な伝統工芸品と祭り

〔伝統工芸品〕

 ○高山茶筅(たかやまちゃせん ○奈良(なら

〔祭り〕

 ○お水取り(奈良(なら市,3月1〜14日) ○吉祥草寺(きっしょうそうじ左義長(さぎちょう御所(ごせ市,1月14日)

位置(いち・地形・気候(きこう

奈良(なら県は,紀伊(きい半島の中央部に位置(いちする内陸(ないりく県である。中央を東西に流れる吉野(よしの川によって北の奈良盆地(ならぼんち,南の紀伊(きい山地に二分される。奈良盆地(ならぼんちの西には生駒(いこま山地と金剛(こんごう山地が大阪府(おおさかふとの境界(きょうかいをなし,東には笠置(かさぎ山地と高見(たかみ山地が広がっている。南部の紀伊(きい山地には1500〜2000mの高山がつらなり,深い峡谷(きょうこくをつくっている。県の面積(めんせき(やく90%は山地で,平地は約10%しかない。

気候(きこうは,北部の奈良盆地(ならぼんちは,夏むし暑く,冬は寒さがきびしい内陸性(ないりくせい気候(きこうで,年間の降水量(こうすいりょうはたいへん少ない。そのため,かんがい用のため池が多くつくられている。一方,南部の紀伊(きい山地は温暖(おんだん多雨の太平洋(がわ気候(きこうで,とくに南東部の大台ヶ原山頂付近(おおだいがはらさんちょうふきんは日本で(もっとも雨の多い地域(ちいきの1つで,年間降水量(こうすいりょうが5000mm近い。

歴史(れきし

昔は大和(やまと国といった。大和政権(やまとせいけん発祥(はっしょうの地とされる。3世紀(せいき後半には(おうを中心とする豪族(ごうぞくの強力な勢力(せいりょく成立(せいりつ,8世紀末(せいきすえまで飛鳥(あすか奈良(ならなどに都がおかれ,政権(せいけんの中心であった。とくに8世紀(せいき奈良(なら時代には,平城京(へいじょうきょうを中心にさかえた。

都が京都(きょうとにうつされた平安時代以降(いこうは,寺社(じしゃがさかえ,鎌倉(かまくら室町(むろまち時代にも守護(しゅごはおかれず,興福寺(こうふくじ支配(しはいした。江戸(えど時代には,多くの寺社領(じしゃりょうと7(はんがあった。

明治(めいじになって奈良(なら県ができ,一時,(さかい県や大阪府(おおさかふ(ぞくしたが,1887(明治(めいじ20)年に分離(ぶんりされ,あらためて奈良(なら県となった。

産業(さんぎょう

第1次産業就業(さんぎょうしゅうぎょう割合(わりあいは2.5%と少なく,農業生産額(せいさんがくも全国で45((2009年)で,農業はさかんではない。奈良盆地(ならぼんちで,米,野菜(やさいや花,カキ(全国2(),茶(全国7()などの栽培(さいばいが行われている(2010年)。

紀伊(きい山地,とくに東部の吉野(よしの地方では,「吉野(よしのスギ」の名で知られるスギや,ヒノキを中心とした林業がさかんである。

工業は,阪神(はんしん工業地帯(ちたいからのびてきた,機械(きかい・電気機器(きき金属(きんぞくなどの工業が,大和郡山(やまとこおりやま市を中心に工業団地(だんち形成(けいせいしている。近年はIC工場の進出も見られる。ほかに,スギなどの製材(せいざい工業もさかんである。

古い歴史(れきしをもつ古都奈良(ならには,多くの観光(かんこう客がおとずれる。その数は年間(やく3500万人にもおよび,観光(かんこう業のしめる地位(ちいは大きい。

日本人の心のふるさと奈良(なら

古代に日本の歴史(れきしの中心舞台(ぶたいだった奈良盆地(ならぼんちは,多くの文化遺産(いさんや万葉の風土をいまに(つたえ,日本人の心のふるさとともいわれる。

奈良盆地(ならぼんち周辺(しゅうへんには,巨大(きょだい古墳(こふんが数多くある。とくに南東部の三輪(みわ山のふもとの崇神陵(すじんりょう景行陵(けいこうりょうなどの前方後円(ふんは,大和政権成立(やまとせいけんせいりつを物語っている。

南には飛鳥史跡(あすかしせきがあり,奈良(なら時代の平城京跡(へいじょうきょうあと盆地(ぼんち北端(ほくたんにある。8世紀末(せいきまつに都が京都(きょうとにうつされたあとも,興福寺(こうふくじ東大寺(とうだいじ薬師寺(やくしじ唐招提寺(とうしょうだいじなどの大寺院はのこったので,奈良(なら門前町(もんぜんまちとして発展(はってんし,さまざまな伝統(でんとう行事もいまに(つたわった。

古都奈良(なら観光(かんこうの中心は,これらの寺が(ちならぶ区域(くいきであり,ここで行われる若草(わかくさ山の山(き(1月),東大寺(とうだいじ二月堂(にがつどうのお水取り(3月),興福寺(こうふくじ追儺(ついな式(節分(せつぶん),春日参道(かすがさんどう薪能(たきぎのう(5月),しかの角切(つのぎり(10月)などの伝統(でんとう行事である。

平城宮跡(へいじょうきゅうせきから南西の方角には日本で(もっとも美しい(とうといわれる薬師寺三重塔(やくしじさんじゅうのとう唐招提寺講堂(とうしょうだいじこうどうなどのある西(にし(きょう,さらにその西方には,法隆寺(ほうりゅうじのある斑鳩(いかるがの里がある。

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