朝廷が南朝(吉野)と北朝(京都)に分かれて対立し,約半世紀の間(1336〜1392年),くりひろげられた全国的な内乱。1336年,建武の新政にそむいた足利尊氏が九州から東上して京都にはいり,持明院統の光明天皇をたてたので,大覚寺統の後醍醐天皇はひそかに吉野(奈良県)にのがれて南朝を開いた。これに対して京都の朝廷を北朝といい,以後,南北朝の対立が始まった。南朝は,わずかに吉野地方や九州・東国の一部に勢力をもつにすぎなかったが,足利氏の内わもめや荘園の混乱など,多くの社会的・政治的な変動が背景にあったため,対立は長びいた。1392年に,吉野の後亀山天皇は将軍足利義満のすすめで京都に帰り,北朝の後小松天皇に譲位する形で南北朝の合一が行われ,南朝はほろんだ。◇南北朝の動乱,南北朝の内乱ともいう。