(1920〜2011)元プロ野球選手(一塁手)・監督,野球解説者。和歌山県生まれ。旧制中学,立教大学で選手として活躍し,学徒で太平洋戦争に出征。終戦で復員したのち,社会人野球の4球団をへて1950(昭和25)年,プロ野球の毎日オリオンズに入団,リーグ優勝と日本一に貢献した。しかし入団時に30歳と選手のピークは過ぎており,5年で現役引退。以降は指導者として活躍,1960年に大毎オリオンズ,62〜73年に阪急ブレーブス,74〜81年に近鉄バファローズと20年にわたって監督をつとめ,8度のリーグ優勝を果たしている。また,現在プロ野球監督をつとめる世代の多くの優秀な選手を育てた。弱小球団を選手の育成などの土台づくりから優勝に導く「名将」といわれたが,ついに日本シリーズでの優勝はできなかった。1981(昭和56)年,監督引退,翌82年から解説者として20年にわたり活動した。戦前・戦後の野球界を知る,生き字引的な存在だった。