はしもとさない【橋本左内】 (1834〜1859)幕末(ばくまつ)の越前(えちぜん)(福井(ふくい)県)藩士(はんし)。緒方洪庵(おがたこうあん)の適塾(てきじゅく)で西洋医学と蘭学(らんがく)を学んだあと,藩主(はんしゅ)松平慶永(まつだいらよしなが)の政務(せいむ)を補佐(ほさ)。将軍(しょうぐん)の跡(あと)つぎ問題がおこると,慶永(よしなが)の意を受けて一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)(のちの徳川慶喜(とくがわよしのぶ))を推(お)したため,井伊直弼(いいなおすけ)の怒(いか)りをかって,安政(あんせい)の大獄(たいごく)で死罪(しざい)となった。◇開明的(かいめいてき)な開国(かいこく)論(ろん)者としても知られる。