(1883〜1959)大正・昭和時代の政治家,第52〜54代内閣総理大臣。東京生まれ。父和夫は衆議院議員,早稲田大学総長,母春子は共立女子大学創立者という恵まれた家庭に育つ。東京帝国大学卒業後,弁護士,東京市会議員を務めたのち1915(大正4)年,衆議院議員に初当選。31(昭和6)年,犬養毅内閣で文部大臣,32年の斎藤実内閣でも文部大臣を務める。第二次世界大戦のさなかは軽井沢で隠遁生活を過ごす。終戦後の日本自由党結党に参加,総裁に就任。1946年の総選挙で自由党が第1党になり総理大臣に就任するまぎわでGHQにより公職追放される。54年,日本民主党を結成し総裁に就任。同年12月,吉田茂内閣の退陣をうけて内閣総理大臣に就任。55年には民主党・自由党の保守合同を実現,自由民主党を結成する。3期2年にわたり政権を担当,日ソ国交回復,国連加盟などの業績を残した。息子威一郎,孫由紀夫・邦夫も国会議員を務めている。