(1738〜1793)江戸時代中期の海防論者。江戸の生まれ。16歳のとき,仙台藩(今の宮城県)につかえる兄をたより仙台にうつる。のち江戸にでて,大槻玄沢ら蘭学者と交わって海外事情を研究。ついで長崎に遊学して,中国の商人やオランダ人から海外情勢について新しい知識を得た。そして,ロシアの南下などに対し,海岸防備の必要を感じて『海国兵談』をあらわしたが,1792年,世間をさわがせたという理由で,幕府に罰せられた。
コーチ
兄の家に
閉じこめの身となった
子平は「親も
無し,
妻無し,子
無し,
板木無し,金も
無けれど死にたくも
無し」となげき,
六無斎と名のり,
翌1793年になくなった。