はんせきほうかん【版籍奉還】 1869(明治(めいじ)2)年,新政府(せいふ)が大名(藩主(はんしゅ))の土地(版(はん))と人民(じんみん)(籍(せき))の支配権(しはいけん)を朝廷(ちょうてい)に返させる形で,中央集権(しゅうけん)をはかった政策(せいさく)。大政奉還(たいせいほうかん)後も全国は藩主(はんしゅ)に支配(しはい)されていたので,大久保利通(おおくぼとしみち)らが薩摩(さつま)(鹿児島(かごしま)県)・長州(ちょうしゅう)(山口(やまぐち)県)・土佐(とさ)(高知(こうち)県)・肥前(ひぜん)(佐賀(さが)県)4藩主(はんしゅ)に版籍奉還(はんせきほうかん)をねがいださせ,他の藩主(はんしゅ)もつぎつぎとこれにならわせた。このあと政府(せいふ)は,藩主(はんしゅ)をそれぞれの藩(はん)の知藩事(ちはんじ)に任命(にんめい)した。コーチ この結果(けっか),政府(せいふ)の藩(はん)への統制(とうせい)力は強まり,やがて廃藩置県(はいはんちけん)(1871年)へと進んだ。