(1632〜75)17世紀のオランダの画家。「フェルメール」は本名ヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフトの「ファン・デル・メール」の省略形。オランダ・デルフトの織物職人と宿屋を兼業する家に生まれる。おそらく画家に弟子入りしたのち,親方画家として独立,物語画家から出発し,しだいに風俗画家として活躍するようになった。美術商も兼業していたらしい。当時から光の陰影と迫真の描写,きわだった青色の使い方で高い評価を受け,レンブラントと並ぶ第一人者として名声を博した。ただし作品数は極端に少なく,これは妻の実家が裕福だったことと有力な後援者がいたため生活に追われて絵を描く必要がなかったためといわれている。しかし,1672〜74年の第3次イギリス・オランダ戦争の動乱によって,絵が売れなくなり,商売もうまくいかなくなり,困窮のうちに死亡した。長く忘れられたような存在であったが,19世紀末から再評価がはじまり,その技術や才能もさることながら,世界中で三十数点しか作品が残されていないことから美術界・美術商業界では最高評価の画家にランクづけられている。