(1905〜95)昭和時代の政治家,第67代内閣総理大臣。群馬県生まれ。東京帝国大学を卒業後,大蔵省に入り,税務署長,官房長,銀行局長などをつとめる。戦後の1947(昭和22)年,片山潜内閣のとき主計局長として大蔵次官池田勇人とともに予算編成にあたる。48年,昭和電工疑獄事件にからみ退官。52年に衆議院議員に初当選。以降,自民党政調会長,幹事長,農林水産大臣,大蔵大臣(3回),外務大臣など党の要職・大臣を歴任。長く自民党総裁と有望視されてきたが田中角栄の陰となり,また三木武夫に先を越され,ようやく76(昭和51)年,71歳で内閣総理大臣に就任。在職中には特に大きな政治問題も起きず,78年退陣。95(平成7)年,90歳で亡くなるまで自民党長老として発言力を維持した。息子福田康夫ものちに総理大臣をつとめた。