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ふじわらのきよひら【藤原清衡】

(1056〜1128)平安時代後期の豪族(ごうぞく奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし(亘理経清(わたりつねきよの子。父の死後,母が再婚(さいこんした清原武貞(きよはらたけさだ養子(ようしとなる。後三年の(えき源義家(みなもとのよしいえ協力(きょうりょくして清原氏(きよはらしをたおし,陸奥(むつ国と出羽(でわ国の両国を(て,平泉(ひらいずみ岩手(いわて県)を中心に奥羽(おうう(東北)地方を支配(しはい。一大勢力(せいりょく形成(けいせいし,栄華(えいがをほこった。

コーチ

 京都(きょうとの文化をとり入れて中尊寺(ちゅうそんじをたてるなど,平泉(ひらいずみ文化を生みだした。

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