メニュー閉じる

ぶんろく・けいちょうのえき【文禄・慶長の役】

豊臣秀吉(とよとみひでよしが,1592(文禄(ぶんろく1)〜93年,1597(慶長(けいちょう2)〜98年の2度にわたって朝鮮(ちょうせん侵略(しんりゃくした戦争(せんそう。全国を統一(とういつした秀吉(ひでよしは,国内の支配体制(しはいたいせいをさらに強化し,領土(りょうどを広げようとして,(みん(中国)の征服(せいふくを計画し,朝鮮(ちょうせん李氏朝鮮(りしちょうせん)に道案内(あんないをもとめた。しかし朝鮮(ちょうせんがことわったので,2度にわたって朝鮮(ちょうせんをせめた。はじめ,朝鮮(ちょうせんの都漢城(かんじょう(ソウル)を陥落(かんらくさせ北方まで進んだが,のち(みん朝鮮(ちょうせん(ぐんにおされて苦戦(くせんし,1598年,秀吉(ひでよしの病死により(へいを引きあげた。◇この出兵(しゅっぺい失敗(しっぱいにより,豊臣氏(とよとみし(いきおいはおとろえていった。

年代暗記

文禄(ぶんろく(えき異国(いこくに(1592)出兵(しゅっぺい文禄(ぶんろく(えき

慶長(けいちょう(えき以後(いご苦難(くなん(1597)する豊臣氏(とよとみし

PAGETOP