ほうじょうときより【北条時頼】 (1227〜1263)鎌倉幕府(かまくらばくふ)第5代執権(しっけん)。泰時(やすとき)の孫(まご)。1246年に執権(しっけん)(将軍(しょうぐん)の補佐(ほさ)役)となり,北条氏(ほうじょうし)に反対するものを次々にたおし,引付衆(ひきつけしゅう)をもうけて裁判(さいばん)の公正と御家人(ごけにん)の保護(ほご)につとめ,北条氏(ほうじょうし)の独裁体制(どくさいたいせい)の基礎(きそ)をかためた。また,禅宗(ぜんしゅう)を深く信(しん)じ,蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を宋(そう)(中国)からまねいて建長寺(けんちょうじ)をたてた。◇時頼(ときより)は出家後,最明寺入道(さいみょうじにゅうどう)と称(しょう)して地方をめぐり,民情視察(みんじょうしさつ)を行ったとつたえられるが,明らかでない。