ほうじょうやすとき【北条泰時】 (1183〜1242)鎌倉幕府(かまくらばくふ)の第3代執権(しっけん)。1221年の承久(じょうきゅう)の乱(らん)では朝廷(ちょうてい)軍(ぐん)をやぶり,乱(らん)後は六波羅探題(ろくはらたんだい)となって朝廷側(ちょうていがわ)を監視(かんし)した。父義時(よしとき)の死によって執権(しっけん)(将軍(しょうぐん)の補佐(ほさ)役)に就任(しゅうにん)し,評定衆(ひょうじょうしゅう)をもうけた。また,1232年には最初(さいしょ)の武家法(ぶけほう)「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」を制定(せいてい)して,執権政治(しっけんせいじ)の確立(かくりつ)につくした。御成敗式目(ごせいばいしきもく)